子供が川崎病になった話。

川崎病とは、
「突然の高熱が数日続き、目や唇の充血、身体の発疹、手足の発赤(=赤くなること)、首リンパ節の腫脹など様々な症状を惹き起こす」

とウィキペディアにありますが、まさにその症状がうちの子供にも起きたお話になります。
突然痛み出す。
長男が5歳の夏でした。
何日か元気が無いなので、どこか痛むの?と聞くと
「耳が痛い」
と言ったので、プールにも入るし、お風呂に頭まで浸かったりするから、
中耳炎かと思い、その日は様子を見ていました。
微熱くらいだったので、そこまで重要だと考えていないかったので後で後悔しました。。
後悔ポイント①子供が痛がったら、痛みの場所をちゃんと聞きだすこと!
その日は朝から元気が無く、今までより痛みを我慢しているようでしたので、
急いで耳鼻科に連れて行きました。
当時住んでいた愛知県の名古屋市の耳鼻科を受診してきました。
ただ、耳鼻科に行き症状を伝えても、
「?」って感じで、診察を受けて、痛み止めの薬をもらい終わりました。
ただ移動中も、診察後も痛みをこらえられず機嫌が悪い状態で
体を触ると泣き出し、「痛い!」と強く訴えていたので、
ただ事ではないことが起きているのが分かりました。
後悔ポイント②痛みを訴えたらすぐ対応が必要!そうすれば診察する病院を間違えても、
次の行動が移せます!
緊急入院しました。
家に帰り妻に中耳炎ではないことを伝えると、別の病院に連れて行こうと話になりました。
そこで名古屋市八事にある、日赤病院に行くことにしました。
事前に電話で症状を伝えていましたが、混んでいたため1時間以上待たされましたが、
なんとか見てもらうことが出来ました。
その間子供は、頭を抱え込むように丸まり、必死に痛みに耐えていました。
八事日赤病院では、痛みの箇所は首のリンパだとすぐ分かり、病名がわからないことから採血もしてもらいました。
結果は、
①白血球が以上に増えていること。
②リンパの箇所を痛がっていること
③目の充血と高熱があること
から、川崎病が疑わしいと。
それで緊急入院になりましたが、正直子供が痛がっている原因が分かり、
安心した気持ちにもなりました。
この時はまだ、川崎病について何も知識はありませんでした。
入院期間は2週間。
点滴から白血球の活動を抑えるグロブリンという薬を入れていきました。
子供の小さい手に点滴の管が刺さっているのを見るのは、申し訳ない気持ちが強くしました。
子供も毎日のように注射されるのを、本心で嫌がっていました。
この時は、薬も使っているからすぐに退院できるだろうと考えていました。
後悔ポイント③入院はどれだけ掛かるかわからないので、仕事や家庭での生活を夫婦で話す時間を作るべきでした。
夜から午前は妻が子供に付き添いました。
理解のある会社のおかげで、午後からの出勤で仕事を続けさせてもらったのは、
本当にありがたかったです。
午後からは、私が半日有給を取り、子供に付き添いました。
ただ、入院期間が1週間を過ぎても一向に改善されない症状と
痛がる子供を見ているのは、体以上に心が疲れてきていました。
背中をさすってあげることや少しでも笑顔でいる時間を増やしてあげたいから、
おまけ付きの本やおもちゃを病院の売店で買っていました。
子供も自分の体に何が起きているのかを知りたがっていたので、ちゃんと説明をすることは必要だと思います。
長女は保育園に通っていました。
私の1日のスケジュールは、朝長女を保育園に送りに行き、午前中は仕事をし、13時になったら退社していました。
妻は夜から病院に泊まり、午後私と入れ替えで仕事に行きます。
夕方に長女を保育園に迎えに行くと、家に帰りお風呂や着替えをします。
長女と一緒に病院に来て、病室に入ることなく私と入れ替えになります。
長女と私が家に帰り、一緒にご飯と寝かしつけという生活をしていました。
後悔ポイント④子供を寝かしつけるのに携帯でYouTubeを見せることはやめておけばよかった。小さい子供には、画面の明るさは毒でしかないとあとで分かりました。。
余談ですが、当時私が勤めていたのは外資系の食品会社になります。
営業職でしたので、結果さえ出していれば午後有給を取り続けることは許可されていました。
でも当時の上司に子供の病気を伝えて、午後有給を取らせてもらう話をしたときに、
「やることやってって」と言われたことは、怒りをおぼえたのは今でも覚えています。
これが転職を考えるきっかけの一つにもなりました。
出来れば、会社のことは気にせず子供を優先していいよと、行ってほしかったのは自分勝手かもしれません。
無事退院できました。
入院生活が10日を過ぎ、グロブリンが効かないことが分かると、
さらに強めのステロイド材を使うことになりました。
医者からは、
「これが効かないと次は透析になる」と言われ、不安な気持ちが強くなりました。
なんとか効いてほしい、と願っていました。
ありがたいことに薬の効果はすぐに表れ、子供が痛みがなくなったと喜んでいました。
でも、白血球の数値はまだ少し高いので、
継続して入院生活が続きます。
10日を過ぎると、長女の様子がおかしいことに気が付きました。
笑顔がなくなり、無表情の時間が多くなりました。
私の作る食事では、満足しておらず、寝かしつけもなかなか寝てくれないこともあり
疲れているのが見て分かり、母親との時間を作ってあげることが出来なく申し訳ない気持ちでした。
後悔ポイント⑤夫婦だけでは生活を維持するのが難しかったので、はやめに周りを巻き込んで、応援のHELPを出せばよかった。
電話で話した両親が心配しが来てくれ、長女の食事の準備や入院している長男と接してくれたのは、
本当に感謝しました。
少しでも子供が笑顔になることが出来ました。
少しずつ改善している長男の症状でしたが、
その後4日はまだ観察が必要とのことで、入院生活は続きました。
妻も私も疲れ果ててきたときに、やっと退院の許可が出ました。
その時には長男の体重は入院前と比べて1割減少しており、足や顔がげっそりとしていました。
経過観察が必要です。
退院しても安心できないのが川崎病です。
血栓ができることがあるため、小学校に入学するまでの1年半は経過観察が必要と言われました。
その後6か月と小学校入学のタイミングで診察を受けましたが、
完治していると言われたときは、安心できました。
経過観察の間も不安な気持ちになりました。周りに相談や話を聞いてもらえる人が必要です。
川崎病になる理由
なんで川崎病になったかは分かりません。
医者も言っていましたが、川崎病になる理由はまだ解明できていません。
1000人に対して3人が掛かる割合で、非常に珍しい病気です。
小学校前の子供が掛かりやすいようです。
もし子供が原因が分からない痛みを訴えたら、病院で受診することを進めます。
私のように、もっとできることはあったと思う後悔はして欲しくありません。
病院に行かない我慢は必要ありません。子供が痛がるのは、よっぽどのことです!
子供の様子を普段から見ておけば。。話を聞いていればと私のように後悔しないでほしいです。
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